神の王国への門は、ビーイング、門なき門だ!

アジズクリストフ

最初の瞑想では、ビーイングの質を発見しよう。呼吸をする時、今の中へと手放して。あなたが出会うものが、在ることビーイングネスの領域だ。初め、あなたはこの新しい次元に、とてもおずおずと不確かな方法で入っていく。あなたは、どうふるまえばいいか、ビーイングの中でどういればいいのか、知らずにいる。ただくつろいでいればいいだけだけど笑

あなたは、この純粋な在ることの広大で無限なる底のないスペースにどうやってとどまればいいか、知らずにいる。そんなこといちいち考えなければいいだけですよね笑。そうすれば、どんどんどんどん深い所に勝手に落ちていき、究極の休息を味わえますから笑

手でつかめるものは何もなく、見えるものもない。だからこそ、どんどんどんどん落ちていくだけです笑

あなたができる全ては、在ることだけだ。まさに!何もしないことだけ笑

在ることビーイングネスは、自分に関わることなく存在すること、不住の普遍的なスペースだ。

だが、誰がこの関わりのないリアリティを体験しているのか?自分自身をビーイングに投げ出しているのは誰か?それはまさにあなたのMeだ。それはあまりに微細なため、マインドはその存在を結晶化することはできない。それでもなお、それはずっと一緒にある。まさに!

Meは主としてハートに位置している。幸せと進化の成就を求める本能的な願望は、ハートから来る。マインドは、ハートの最初の表現だ。マインドがなければ、ハートは存在できない。というのも、魂に気づきをもたらすのは、マインドだからだ。もしマインドが無知で断片的で、継続性に欠けていたら、そんなマインドは魂がビーイングの状態に達するために使うことはできない。

従って、2回目の瞑想は、ハートの延長であるマインドにワークしよう。アウェアネス気づきは、マインドの中、頭部で生まれる。脳がなければ、少なくとも私たち特有の次元では、アウェアネスもない。私たちのリアリティでは、意識は自分自身を顕現するために、肉体と能力という乗り物を必要としている。アウェアネスのセンター、覚醒状態のセンターは、脳の真ん中、第三の目に位置している。アウェアネスが無意識、もしくは半意識的な場合、それはマインドの潜在意識的な行為の中で見失ってしまう。この、人間存在を生けるコンピューターに変えてしまう絶え間のない思考は、本質的なアウェアネスがないことによって生じている。私たちはここで、思考への気づきではなく、厳密な意味での気づきについて話している。

アウェアネスの目覚めにおいて、私たちは基本的な段階を2つに分けて考えている。ひとつ目は、観察という行為、もしくは注意深さによってマインドを超えていく能力だ。ここで、あなたはアウェアネスの一般的な成長を通して、マインドから確かな距離を作り出す。2つ目の段階は、純粋なアウェアネスを認識することだ。みんな思考を眺めることはできても、アウェアネスを認識することができないみたいですよね。要は眺めている自分に目を向き直すことができないからこそ、色んな思考が湧き上がっているのを、自分ではない存在からのメッセージが湧き起こっていると思ってしまっているんじゃないでしょうか。それが湧き起こっていることに気づいている存在に目意識を向き直して、ただただそれに気づいている存在に気づいてみてください

それは実は、目覚めをすでに表している。本当にその通りですよね。だからこそ、向きを変えて、思考を眺めている存在、思考に気づいている存在に気づけばいだけです。多くの人たちは、思考を眺めている存在に向きを変えないからこそ、色んな思考が湧き上がってくる中から、自分を探そうとしたり、自分以外の存在からのメッセージが降りてきていると思ってしまっているんじゃないでしょうか。色んな思考に気づいている存在、チャネリングメッセージだと思って、そのメッセージ?思考に気づいている存在こそが、観照者としての自分です。ただただそれに気づいているだけで、それをキャッチしようともしていない存在それが観照者です

この自らに気づくという段階、対象のない意識を、私たちは対象のない注意深さと言う。

呼吸の練習から始めよう。息を吸うと、あなたの下腹はふくらみ、あなたは頭へとその息を入れていく。完全に在りながら、あなたはその現れている者をはっきりと認識する。そこに現れているのは、純粋な注意だ。それは、あなただ!まさに!

吐く息とともに、あなたはビーイングへとリラックスしていく。まさに!

では、マインドの思考に気づいて。あなたが思考に気づく瞬間、それはあたかもマインドの外辺に位置しているように感じる。思考がそれ自体、あなたの外側であるかのように感じるように。どうしてそのように感じるのか?なぜなら、観察している知性は気づきのセンターにとても近く、思考はエネルギー的にセンターから隔てられてかるからだ。観察する知性が活発な時、注意は自動的に現れる。本当にその通りなんだと想います。これは私にとっては、普通のことでしたから

あなたがあなたのマインドを観察する時、あなたは観察する知性の背後にただいる主体、もしくは私Iあいを発見する。私にとって、これは当たり前のことだったので、何で普通の人たちがそれに気づいていないのかが私には不思議で、いまだに全く理解できないんです。全くわからないなぜ、それに気づかないのかが全くわからないんです

それを見るのだ!ただそれだけなのに

私たちはとても微細なエリアに入ってきている。意識のハート、マインドのエッセンスだ。あなたはビーイングへの拡張によってマインドを迂回することができるが、マインドはそのままだ。マインドを変容させるためには、そこに直接入っていかないとならない。注意の向きを自分自身に引き戻すという、認識の力だ。注意の向きをただ自分自身に引き戻せばいいだけです。ただそれだけなのになぜ気づかないのかな

今、あなたは、主な問題であるあなた自身のマインドに直面している。そして、それに直面する時だということだ!違うか?あなたはマインドに焦点を最大に合わせて、観察している。あなたは、この観察がある場所から来ているという事実に意識的になっていく。マインドの活動に気づいているのは、マインドだけではない。あなたの観察がやって来る場があるのだ。観察しているのは微細なマインドだ。それはあなたの知性だ。だが、観察している知性の背後の、まさにこの注意は何か。この観察において、あなたはどこに位置しているのか?あなたのMe私という感覚はどこにある?内側を見て、それを探し出すのだ!向きを変えれば、見つかります

2つの問いがある。ひとつは、誰が観察しているのか?2つ目は、どの場

から、観察は生じるのか?観察しているのは知性だ。そして、気づきの源泉という場所から、知性は観察することができる。観察しているものが、それ自身に気づく時、アウェアネスの本当のセンターが生まれる。アウェアネスのセンターとは、まさにあなたのMeにつけられたもうひとつの名前だ。あなたのMeとは、マインドの背後の主体を表す。それは全てとてもシンプルで、簡単なことですらある。本当にその通りだと想います

しかし、人間のマインドが断片的な性質を持っているため、ほとんどの人がこのことを把握するのに深刻な困難さを体験してしまう。私にとっては当たり前のことなので、それを把握するのが困難っていうのが私には全く理解できないんです

だが、それはとてもシンプルだ。まさに!マインドは、シンプルじゃないモノを求めていますからね。だからこそ、余計気づけないんでしょうね。シンプル過ぎて。そして、本当は当たり前過ぎて、気づけないんでしょうね。ハラビーイングもそうですけどね。当たり前過ぎて、そこに在るのは知っているけど自覚していないというか特別、自覚する必要もない事だと思っているからこそ、見逃しているだけ。だからこそ、ハラビーイングに気づいたら、ずっとそれはそこに在ったことを思い出すというより、知ってたでも、当たり前過ぎて忘れてたって笑っちゃうと想いますよ笑。観照者も。だからこそ、悟りは思い出すことと言われているんでしょうね。それに気づけば絶対に思い出しますから観照者もハラビーイング

困難にしているのは、この主体ではなく、無知なマインドなのだ。マインドは、困難にするのがお好きですからね笑

あなたが誰かをあなたが知るまで、瞑想や悟りについて語られていることは全て完全に無意味だ。私もそう想います。だからこそ、先に知識を入れるのは毒であり、無意味だと観じています。でも、それに気づくために、それが起こっているんでしょうね。それを実感するまでは、それが無意味だったことに気づけないのかもしれませんが。だからこそ、それが落ちずに、ずっと続いているんでしょうね

真剣になって、そしてついにあなた自身に目覚めるのだ!多くの人たちにとっては、これがゴールみたいですね。でも、それは始まりに過ぎないのに。そして、それは、ハートやビーイングに気づくためのツールだからこそ、それが目覚めていないと、ハートやビーイングにも気づけないんでしょうね

さあ、自然に呼吸しながら、頭の内側にシンプルにいて。あなたがいながら、様な思考がやってきては去るだろうが、それでもなお、その背後でずっと在り続けている何かがある。その背後の存在に気づけばいいだけです。様な思考をキャッチしたり、そこで思考のお喋りを始めたり、チャネリングメッセージだとキャッチしないで、それをスルーして、そして、そのまま向きを変え、それを一望している気づいている存在に、気づけばいいだけです。それが観照者です

その変わらないものは、気づきの光だ。この感覚、このプレゼンスとともに、あなたはビーイングへとリラックスしていく。何もしないことへと手放して。在ることそしてただ在ることへと手放して。

瞑想には、2つの要素がある。ひとつはすることで、2つ目は何もしないことだ。心地よく、自分を包み込む、静かで穏やかなスペースにとどまって。頭の中のお喋りと一体になっていたり、そのお喋りに夢中になっていると、静かな穏やかなスペースに落ちていくことはないと想います

ただ、そこにいて。ただそれだけです

何かをする必要はない。まさに!

ただいて。ただそれだけです

だが、もしあなたのマインドが落ち着かなければ、もしあなたのエネルギーが根づかず、揺れ動いているなら、集中して。真の集中は、第三の目が開いていないとできないみたいですよね。要はそこに頭がないからこそ、集中できるんです。頭でやろうとする集中は、長続きしないみたいです。エネルギーが揺れ動いちゃうからなんでしょうね。要はエネルギーが根づいていないからなんでしょうね

あなたは、注意を使って必要な程度に集中しなければならない。私は集中力だけは、発達障害の検査テストの結果、IQが高かったから笑

瞬間、瞬間、あなたは呼吸とひとつになる。呼吸して、呼吸して、呼吸してあなたは思考と感情の動きの中でプレゼンスという課題に集中し、専心している。あなたは、あなたのアイデンティティの感覚を結晶化させなければならない。さもなければ、あなたはゴーストのように、夢のキャラクターのように、夢の世界をさまよい続けるだけだ

自分自身を発見するためには、渇望を持たなければならない。この渇望は、忘却の状態と目覚めをつなぐ聖なる直観だ。無知と光、分離と統合の間をつなぐものは他にない。この直観、進化の聖なる本能が、唯一のリンクだ。私は、頭がないので、常に気の向くまま、赴くまま、意識を向けさせられること、直観が自分からのメッセージであり、ガイダンスだと観じていますから

この直観が目覚めた時、彼女は渇望を生み、渇望は決心と専心に理解をもたらす。この、私たちの本源へと還りたいという、いにしえの願望は、進化のエンジンだ。なぜ、そうでなければ全く進化しないのだろう?

瞑想中、疲れたり、エネルギーが行き詰まったり、落ち着きがなくなったりする時がある。そんな時、人は全ての状況から逃れ、逃げ出したくなる。しかし、逃げ出しはしない。進むのみだ!人は中心で今、ここ

にとどまれる。まさに!

もし、私たちかいい感じの時や深い状態を体験している時だけ瞑想を修行するなら、それは本物ではない!私は、瞑想と構えて瞑想しないから。でも、私は何かをやっていても、何もしていなくても、すぐに瞑想の状態に陥ってしまうみたいです

内側に入っていくのが難しかったり、マインドが妨げたりする時こそ、あなたはしっかりと瞑想すべきだ。私は、内側に入っていくのが難しいというのがわからない

それは無知に対抗するワークだ。難しい時こそ、あなたはより大きな決意とともに瞑想する必要がる。これが本物だ!究極の瞑想は、あなたが良く感じるか悪く感じるかに関わりなく、シンプルになされるものだ。私は、シンプルに瞑想の状態に陥っているだけです

全ての下に横たわるビーイングネスの広大で無限の海へと、私たちはリラックスしていく。まさに!

神の王国への門は、ビーイング、門なき門だ!ハラビーイングは、彼方への門ですからね

あなたはこの門を見ることはできないが、入っていくことはできる!まさに!私はずっとそれを伝えています

あなたが明け渡すと、エネルギーは下に落ちていく。私はある時、エネルギーが下に降りていくことに意識を向けさせられ、そして、ハラに還り、ハラの存在、要はビーイングの海に気づかされました

それがエネルギーの法則だ。あなたが何もしないでいると、エネルギーは重力によって、腹に向かって下降していく。まさに!私はそれに気づかされました

しかし、何もしないためには、あなたは注意深くプレゼンスにいなければならない。プレゼンスにいなければ、ビーイングに落ちても気づきませんからね笑

あなたがしていることは、注意深くあることで、あなたがしていないことはビーイングだ。まさに笑

何もしないことが土台で、することがその土台に到達するための手段だ。まさに!だからこそ、観照者はツールなんです

スピリチュアルな拡大とは、あなたのエネルギーシステムが宇宙のエネルギーの一部であるという時実に関連している。まさに!

あなたという個人的な存在の中で、あなたが体験するアイデンティティの感覚が、宇宙のIAMの中へと溶け込んでいく。まさに!

あなたは神の海とひとつになる。まさに!

ここで、あなたはもはやこの海からあなた自身を分けることができない。まさに!

あるレベルで、あなたは分離したままであるにも関わらず、彼方と完全に溶け合っている。まさに!

それらはひとつであり2つで、2つでありひとつだ。まさに!これですコレ!

ひとつのなかのふたつなのだ。まさに!これです

私たちがそこには統合しかないと言う時、何かが完全に表現されていない。というのも、この統合を体験しているのは私だからだ。まさに!

私たちが二元と言う時、それもまた正しくない。だからこそ、アジズさんの言う二元的非二元性が一番しっくりきます。要はどちらかひとつではなく、両方ある。そして、それらは統合される。二極の統合

というのも、あなたはワンネスの状態にあるからだ。まさに!