自分はOKそこに理由が要らない感じ

何かをしているから、自分はOKなのだ。

その考え方って危険なのです。

仕事がこれだけ出来ているから自分はOKなのだ。

この人に認められているうちは、自分はOKなのだ。

そういったこと。

何故なら仕事も人も普遍ではないからです。

いつだって都合のいい物事や他者を期待して、

その見返りありきで生きることになるからです。

アルコール依存症の方は、それが叶わなかったら

お酒に走りますし、仕事や人のことばかりを気にするようになったら

それはワーカホリック共依存

他に依存が移行するだけです。

他に熱中出来ることを探し、それに依存性があったらそちらに依存し、

それは危ないから欲求とかけ離れた無難な生き方を選ぶ。

断酒会をあまり上手く使えない方は、

都合のいい他者に依存し、その報酬として望んでいない

無難な生活だけ手に入れている感じとも考えることが出来ます。

依存しやすい人、と一言で簡単に片付けてしまうのは

もったいない気がします。

何故依存するのか?

つまりは一人で、今の自分で良い!と思えないのです。

自分でOK。

では自分でOKというのはどういった状態か?

それは立派や粗末といったことや、

あるいは善悪すらも関係がないかもしれません。

自分の欲求を素直に感じ取れる状態

であると思います。

〜したくて、行動する。

もちろん、したくて、我慢することもあります。

ただ、その〜したいはしっかりと感じている。

ウヤムヤにして生きづらさを感じていない。

それが自然な生き方で、自然に欲求を追求する生き方は

OKな生き方だと思います。

生まれてきた意味は?

何をこの世に残すのか。自分の命における使命とは?

そう考え出すとまた違ってくるかもしれませんが、

少なくとも毎日欲求を正しく感じられる状態で

今日もNGを出す危険性があるといった恐怖は

無くなると思います。

自己一致した状態と言います。

人間の承認欲求を、まず自分から行えている状態。

それが行えないような環境があるのであれば、

何かに依存している、、、その依存に問題があるのではなく、

その状態に問題があります。

ここまで読んで下さって、その状態というものに

何かふと頭に浮かぶようなものがあれば、

あるいはしっかりと思い浮かべることがあるのであれば、

問題の本質はそこにもあるのかもしれません。