定期券

おはようございます水曜の朝です

今日は午後から雨降るみたいですね。義母は今日は訪問リハビリの日ですが、雨で外歩きの練習はできないかも。。

まあ、明日は精神科受診なので。行きはタクシーだけど、帰りは歩けるかな。明日は歩行器で休み休み、歩いて帰って来れるといいな、、

私は今日は11時に義母に買い物を届けて、午後は訪問リハビリ付き添い。

あとは、娘の通学定期が切れちゃったから、あと1月だけ継続で買ってこよう。

よく考えたら、1月なら娘にお金渡して、娘が券売機ですぐ継続で買えたんだった、、

いつも6月の定期券を買ってたから、しかも学年またぐときは学生証を窓口で提示?だったかな、4月と10月の一番混むときに私が行列に並んでクレジットカードで窓口で買ってましたね、、あー失敗今朝わざわざ娘の定期券預かっちゃった、、

娘は今朝も5時半起き、お弁当持って高校いきました。

昨日は、塩サバ焼いた夕食だったので、また今朝詰めるものが無い夕食は、まだ白菜残ってたから引きつづき鍋も、昨夜は冷凍の水餃子の鍋にしちゃいました。お弁当には、茹でブロッコリー入れるので精一杯昨日ブロッコリーが広告の品で香川産248円だったんだけど、それにしても野菜高っ

あとはバナナが黒くなってきてたのを見て、娘のリクエスト。ホットケーキミックスと卵とチョコとバター混ぜてバナナケーキを夜作りました。超簡単。それも今日、お弁当と一緒に持っていきました。

朝食5時半だと10時半くらいにもうお腹空いちゃうって娘。そりゃそうですよね。だからバナナケーキ食べよう!って喜んでました、良かった

今はまだ日が射してますが、午後は雨と風だって。定期券も早めに行っておこうっと。

ではダラダラとすみません

今日も頑張っていきましょう!!良い一日を!!

広告を非表示にする

J2アビスパ福岡、ァンフォーレ甲府FWドゥドゥを獲得

J2アビスパ福岡が、J2ァンフォーレ甲府からブラジル人FWドゥドゥ(27)を期限付き移籍で獲得する。

昨季1の甲府で29試合に出場し、5得点のストライカー。

選手データ

FWドゥドゥ(27)

ブラジル

アビスパ福岡日本2部/エース格

市場価格7000万円

年俸4000万円

FIFA18能力値68

面会交流の日程

面会交流の日程について向こうから弁護士を通して連絡があった。ピンポイントでこの日のこの時間帯にしろ、というのである。何日か候補日を提示してそこから選ぶってのが普通じゃないのか。本当に向こう主導で勝手な気がする。

理想の面会交流まではまだまだである。理想の面会交流ができない可能性も十分にある。しかし、希望を捨ててはいけない。いつか月2回は会って、宿泊もして、というのを何がなんでも目指したい。

昨日も息子が夢に出てきて、起きて夢と分かった時、ものすごく苦しい気持ちになった。今日も息子に会えない。早く会いたい。いつか二人だけであって本音を聞き出したい。パパと暮らしたいとは思っているだろう。だが向こうは絶対に渡さない。もう1年別居しているから悔しいが親権を向こうが取るのはほぼ間違いない。親権を取るならこちらの希望通りに面会交流をさせてほしい。切に願うところである。

広告を非表示にする

閑古鳥

繋がりが

大きな店に

飲み込まれ

北風のみが

ただ吹くばかり

広告を非表示にする

初詣&お昼ご飯

先週の9日のこと。

職場での初詣は、佐賀県鹿島市

祐徳稲荷神社へ。

もはや、若くないので

上の方には登りません。

いや、登れません。(笑)

下の方は、こんな感じ。

お詣り済ませて散策。

なんか珍しい梅が咲いてました。

で、一路、有明海方面へ!

途中で見つけたかき小屋へ。

炭に火ぃ、着けろやぁ!

牡蠣並べぇの

サザエさん

火を通し過ぎないようにして

ハフハフです。

牡蠣以外にも、貝類、海老、焼鳥等

おにぎりも追加して食った食った。

但し、アルコール無し。(泣)

いゃあ、焼き牡蠣は1年分くらいの量を

食べましたわ。

もう、焼いた牡蠣はいいや。

次は、生牡蠣、カキフライで。(笑)

ごちそうさまでした。

広告を非表示にする

メンバーの1人病欠だったのね。謝らない

メンバーの1人病欠だったのね。謝らないで。早く良くなってください。

プーチン・安倍・トランプはこんな連中を許さない

【米国:ポリコレ】子供たちが「親友」を作ることを排他的だとして、学校が禁止を検討

http://www.newshonyaku.com/usa/llife/20180113

「差別反対」というのは耳に聞こえのいい言葉です。

しかし、行き過ぎた反差別活動というものはときに非常識な結果を生み出します。

ナショナル・レビューに掲載されたこちらの記事を読んで、ほとんどの日本人は呆れるのではないかと思いますが(そう信じたいですが)、これはアメリカやヨーロッパで現実に起こっている話です。

日本でも、行き過ぎた反差別意識がいずれこのような議論を巻き起こさないと誰が言い切れるでしょうか。

Post 2018/01/13 19:00

【National Review by Katherine Timpf 218/01/09】

ソーシャル・エンジニアリング(人間の心理的な隙や行動のミスにつけ込んで個人が持つ秘密情報を入手する方法)や言葉狩りは人間の本性を変えられない。

私たちは皆、ある人たちをその他の人たちよりも好きになる。

USニューズ&ワールド・レポート誌の記事によると、アメリカとヨーロッパの一部の学校で「子供たちが親友を作るという発想自体を禁止することを真剣に検討している」そうだ。

なぜなら、親友を作ることはその他の子供に対する差別であり、子供たちを傷つけるからだ。

「親友を選ぶという考えは私たちの文化に深く根差しています」と、児童・家族心理学者のバーバラ・グリーンバーグ博士は『学校は子供たちが親友を作ることを禁止するべきか?』と題した論文で述べる。

「とは言うものの、私の考えでは、親友を持つことを禁止する動きにも利点はあります」と彼女は続ける。

グリーンバーグによると「ミドルスクールの女子生徒が隣の席の子に、前に座っている子と親友だと告げることにより、非常に排他的なことが起こっています」

「自分が親友だと思っていた友達が今や別の子を親友にしたと言っては、私のセラピーオフィスに続々と子供たちが駆け込んでくるのです」と彼女は続ける。

「親友」を禁止するという案について「やってみればいい」とグリーンバーグは説く。彼女の説明はこうだ;

私はソーシャル・インクルージョン(訳注:社会的排除と訳されるソーシャル・エクスクルージョンの反語。

平成12年厚生省報告書によると、「全ての人々を孤独や孤立,排除や摩擦から援護し,健康で文化的な生活の実現につなげるよう,社会の構成員として包み支え合うこと」)の考えを支持します。

親友という言葉は本質的に排他的な意味を含みます。

子供、いや、ティーンエイジャーの頃ですら、親友は頻繁に入れ替わります。

そのような変化は心理的な苦痛となり、子供たちは親友についてよりも、近しい友達、もしくは単に友達について話している方が、苦痛が軽減されます。

暗黙の序列というものが存在し、序列が存在するところには、問題が起こります。

私は、誰にも親友と呼ばれない子供たちを見てきました。

悲しいことに、その子たちは一人で昼食を取り、他の子供たちが親友同士で遊んでいるときに一人で家に居たりします。

親友は「排他的」なものだろうか? 確かに。親友のいない子供たちはときに自分をつまらない存在だと思うだろうか? そのとおり。

だが本当は、グリーンバーグは多くの人々が禁句を作り出す際に犯すのと同じ間違った考えに立っている。

それは、言葉を言い換えることで物事の真実を変えられると信じていることだ。

そんなものは、変わりはしない。

グリーンバーグの主張どおりに、子供たちに「親友」の代わりに「仲の良い友達」と言い換えさせたところで、彼ら彼女らの友情に何か変化が起こるわけではない。

それはちょうど、別れた夫を「私のボーイフレンド」と呼んだだけで復縁することがないのと同じだ。

考えてみればいい。

たとえ学校が子供たちに「親友」という言葉を使うことを禁じたとしても、本当に通じ合う友達を作る子供たちはいるし、周りから見てもその二人は他の誰よりも近しいのは明らかだ。

親友のいない子供たちは、たとえば、クラスの行事でパートナーを選ぶときに(もしそれがまだ禁止されていなければの話だが)、自分には親友がいないことに嫌でも気付くことになる。

そしてその子たちは、「仲の良い友達」を、その「仲の良い友達」の「仲の良い友達」(つまり、その友達の「親友」だ)から渋々と分けてもらうことになるのだ。

小中学校で親友がいないというのはつらいものだ。

私につらい経験があるので、それはよくわかる。

体操の時間を、私をいじめていた(煙草の匂いのする)女の子とよく一緒に組まされて過ごした。

なぜなら、私には「親友」ではなく単に「仲の良い友達」しかおらず、その子は誰か別の子の「親友」だったからだ。

でも、もし私の学校が「親友」を禁止していたとしたら、私の学校生活は楽になっただろうか? もちろん、そんなことはない。

いくら子供でも、私はそこまで間抜けだったわけではない。

社交上の合図というもので、私は誰と誰が親友同士だかすぐわかっただろうし、自分に親友がいなかったことぐらいわかっただろう。

苦痛や差別のない世界は素晴らしいものだろう。

でも、そんな世界を作るのは大変だ。

ひとつ確かなことは、人間は生まれながらに排他的なものだ。

我々は皆違っていて、お互いとそれぞれ違う風につながっている(もしくは、つながっていない)。

この世に存在したすべての人間が、自分はある人たちをその他の人たちよりも好きだということを知っている。

それは自然なことで、この先も変わりはしない。

とりわけ、あるものの呼び方を禁止するなどという単純な方法では。

H/T Collage Fix

(海外ニュース翻訳情報局 浅岡 寧)